[西国三十三所札所会]
 
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総持寺 略縁起 先祖供養 ペット供養 ぼけ封じ
総持寺縁起絵巻
亀に乗った観音様として有名な総持寺は平安時代、中納言藤原山蔭卿により開かれました。亀の恩返しにより開かれた総持寺の御話は、今昔物語や源平盛衰記等にも紹介されていますが、総持寺には、お寺の創建についての縁起絵巻が残されています。
この縁起絵巻をご紹介しましょう。
第一段
  山蔭卿の父である高房卿が太宰府に赴任の途中、淀川を船で下っていますと、漁師達が一匹の大亀を捕らえていました。高房卿は、「今日は十八日で観音様の縁日です。どうかその亀を私に譲ってください。」と自分の着物と交換し、大亀を河に放してやりました。
第二段
  その夜、河口で夜を明かした高房卿は、継母のたくらみにより最愛の子である山蔭を河に落とされます。嘆き悲しんだ高房卿は「観音様、今一度我が子山蔭に、亡骸としてでも会わせて下さい。」と、常日頃より信仰している観音様に祈念されました。
すると昨日助けた大亀が元気な山蔭を背に乗せて現れたのです。
第三段
観音様の御恩に感謝した高房卿は観音様の造像を発願します。
高房卿より中国での香木購入を依頼された遣唐使は、買い求めた香木の持ち出しを禁止され、香木に銘を書いて海に流しました。
   
第四段
その後、高房卿は亡くなり山蔭卿が太宰府に赴任しました。
ある日浜辺で、中国より流れ着いた香木を発見。驚きと歓喜に包まれ、父高房卿の遺志継続を決心するのです。
   
第五段
任期を終え都に帰った山蔭卿は、仏師を探すため奈良の長谷寺に籠もり祈願を重ねました。
ある朝、観音様のお告げにより童子の姿をした仏師に巡り会いました。山蔭卿は都の屋敷に来るよう童子に告げて、長谷寺を後にしました。
   
第六段
山蔭卿の屋敷を尋ねた童子は、いぶかる家来達の前で、見事な十一面観音を刻み一同を驚嘆させました。
その後、彼の香木を与えられた童子は「仏様を彫刻する千日の間は誰もこの仏舎に入らぬ事。また、山蔭卿自身で私の食事を作ること」と申しました。
   
第七段
  造仏を初めてより千日目の早朝、「長谷の観音様はどちらに」と声が聞こえると仏舎より「行基菩薩よ、今帰るところよ」との答えがあり童子は空に飛び立ちました。
山蔭卿が急いで仏舎に駆けつけると、千日間の食事を御供えされた千手観音様が亀の座に立った御姿で、お奉りされていました。
第八段
  山蔭卿の三回忌には七男七女が協力し、五重塔、多宝塔、金堂、講堂、食堂、鐘楼、僧坊、宝蔵、浴室、四面回廊、大門、脇門等、総持寺の伽藍が完成しました。

総持寺伽藍の落慶法要は寛平二年二月四日と伝えられ、それ以来千百有余年を経て、信仰が伝えられています。

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